駅前広場に人だかりができていた。人山の頭の向こうで跳ねるボールがちらちら垣間見える。
もしやと近づいてみると、やはりジャグリングの最中だった。
祭りの一イベントとして大道芸人が招かれていたらしい。
初めて見る生の大道芸を前に、私の頭の中はひとつのテーマでいっぱいになっていた。
「果たして、大道芸とクラウンパフォーマンスは何が違うのか?」
ジャグリングのほか、パントマイム、一輪車、マジックetc――どれもクラウンがやっているものと大きな違いはない。
話術や失敗したときの笑いのとり方も、さほどクラウンと変わらないように思えた。
芸人さんは、じーにょさんやChangさんにちょっと似た感じのなかなかの好青年で、場数もかなり踏んでいそうである。
観客の受けもまずまずだ。
でももし彼がクラウンの姿をしていたらどうだろう。
そう想像してみると、そこにクラウンとの圧倒的な相違が見えた。
そこにいた観客は40名ほどだろうか。
その人々はただの見物人でしかなかった。
興味を失うや、一瞬で背を向ける残酷で正直な野次馬だった。
プレジャーBのショーを観ていていつも感じるのは、場の温かさと彼らへの親しみである。
私自身の心がほっこりとしてくるのはもちろんのこと、周りにいる観客のそんな気持ちもこちらに伝播してくる。
普段は潜在的に否定している私という存在を、ごく自然に肯定できる――そんな安寧をプレゼントしてくれるのが彼らだ。
傍にいるということ、それだけで心地良い。
「クラウンは観客と、時間と空間を共有する」とは、クラウンKこと大棟耕介さんの弁である。
今日はその意味が感覚として実によく判った。まったくそのとおり、言い得て妙だと膝を打った。
「クラウンと観客」の関係は「観せる側と観る側」ではない。
今この時をこの場所で共に生きる者たち、つまり「私たち」なのだ。
大道芸もクラウンパフォーマンス同様、「すごい」「楽しい」と感じたが、そこには「観せる側と観る側」「彼と私」の壁が歴然と存在していた。
ほかの誰かの喜びが私の中に響いてくることは殆どなく、私の喜びもまた、結局は私一人のものでしかないように感じられた。
たまたま同じ時間に同じ場所に居合わせている人々。この条件だけでは共有とは呼べない。
クラウンのパフォーマンスによって生み出されるのは、調和された交感だと思う。
なぜなら一流の道化師は、一流の調律師でもあるからだ。
(これについては「【PART3】大棟耕介さんの講演会in名古屋」で改めて )
生まれて初めて生で見た大道芸が終わり、生まれて初めて帽子の中にお金を入れるというイベントを終えたとき、大道芸人さんに話しかけてみた。
汗だくの彼が返してくれた表情は、やはりクラウンのそれとは違っていた。
こんなとき、クラウンさんならきっと顔にこう書いてある。
「わたしもあなたが好きです」――と。
もしやと近づいてみると、やはりジャグリングの最中だった。
祭りの一イベントとして大道芸人が招かれていたらしい。
初めて見る生の大道芸を前に、私の頭の中はひとつのテーマでいっぱいになっていた。
「果たして、大道芸とクラウンパフォーマンスは何が違うのか?」
ジャグリングのほか、パントマイム、一輪車、マジックetc――どれもクラウンがやっているものと大きな違いはない。
話術や失敗したときの笑いのとり方も、さほどクラウンと変わらないように思えた。
芸人さんは、じーにょさんやChangさんにちょっと似た感じのなかなかの好青年で、場数もかなり踏んでいそうである。
観客の受けもまずまずだ。
でももし彼がクラウンの姿をしていたらどうだろう。
そう想像してみると、そこにクラウンとの圧倒的な相違が見えた。
そこにいた観客は40名ほどだろうか。
その人々はただの見物人でしかなかった。
興味を失うや、一瞬で背を向ける残酷で正直な野次馬だった。
プレジャーBのショーを観ていていつも感じるのは、場の温かさと彼らへの親しみである。
私自身の心がほっこりとしてくるのはもちろんのこと、周りにいる観客のそんな気持ちもこちらに伝播してくる。
普段は潜在的に否定している私という存在を、ごく自然に肯定できる――そんな安寧をプレゼントしてくれるのが彼らだ。
傍にいるということ、それだけで心地良い。
「クラウンは観客と、時間と空間を共有する」とは、クラウンKこと大棟耕介さんの弁である。
今日はその意味が感覚として実によく判った。まったくそのとおり、言い得て妙だと膝を打った。
「クラウンと観客」の関係は「観せる側と観る側」ではない。
今この時をこの場所で共に生きる者たち、つまり「私たち」なのだ。
大道芸もクラウンパフォーマンス同様、「すごい」「楽しい」と感じたが、そこには「観せる側と観る側」「彼と私」の壁が歴然と存在していた。
ほかの誰かの喜びが私の中に響いてくることは殆どなく、私の喜びもまた、結局は私一人のものでしかないように感じられた。
たまたま同じ時間に同じ場所に居合わせている人々。この条件だけでは共有とは呼べない。
クラウンのパフォーマンスによって生み出されるのは、調和された交感だと思う。
なぜなら一流の道化師は、一流の調律師でもあるからだ。
(これについては「【PART3】大棟耕介さんの講演会in名古屋」で改めて )
生まれて初めて生で見た大道芸が終わり、生まれて初めて帽子の中にお金を入れるというイベントを終えたとき、大道芸人さんに話しかけてみた。
汗だくの彼が返してくれた表情は、やはりクラウンのそれとは違っていた。
こんなとき、クラウンさんならきっと顔にこう書いてある。
「わたしもあなたが好きです」――と。
Comment
納得です。
ありがとうございます(^^)
プレBファンさん,はじめまして。
勢い優先の粗書きですが,
お褒めのことばをいただき大変恐縮です。
もっと精進せねば,と思っております。
勢い優先の粗書きですが,
お褒めのことばをいただき大変恐縮です。
もっと精進せねば,と思っております。
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それ以上に、チロルさんの考察の深さと文章力の確かさに感動を覚えます。